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とうとうこの日が来てしまいました。
本日、英国はロンドンで私が最も敬愛するフットボーラーの1人、いや、現役選手の中ではかれは別格、といってもいいぐらいの選手がスパイクを脱ぎ、ピッチを後にしました。
彼の名は、デニス・ベルカンプ。
彼との出会いは彼がオランダ代表として頑張っていた頃。94年のアメリカW杯。今大会はロベルト・バッジオを擁するイタリアが友人間では人気があったのだが、その前の90年W杯、92年EUROと親戚に見せてもらったビデオテープから非常に興味を持ったオランダを俺は応援していた。
結果は、ブラジルにいい試合をしながらも負けてしまうという残念な結果だったが、そのブラジルは大会を優勝する、というほどのチームだったので、オランダがいかにすばらしいチームであったか、俺の目が間違っていなかった、と感じた。
いまでこそ、監督として名高いライカールトやクーマンといった選手達が名を連ねるなか、一際俺の目を引いたのはFWのベルカンプだった。ライカールトやクーマンがキャリアの晩年にさしかかっているなか、ファンバステンの後を埋める彼はひJ用に期待されていたし、事実その期待に応えるだけのプレーを見せてくれた。
それからは、俺は彼の虜になった。その後、所属するクラブチームを雑誌や、何とかして手に入れた試合のビデオを見るなど、彼を中心にサッカーを見るようになった。Jリーグ人気が拍車する中、俺はリーボックのベルカンプモデルのスパイクを履いて部活をしていた。
98年フランス大会では、準々決勝のアルゼンチン戦ではいまでも語り継がれる驚異のトラップからのゴールを決めたベルカンプ。この大会は、ファン・デル・サールやダービッツ、クライフェルトなど、アヤックス出身選手が非常に目立ったオランダ代表だったが、その中でもアヤックス出身としては1つ先輩に当たるベルカンプのプレーは非常に優雅で、残酷なほどであった。
その当時は今ほどヨーロッパのサッカーが見れる環境が整っていなく、カズが移籍したことで話題になり、90年代前半にオランダトリオを擁して世界最強を謳歌していたACミランがいたセリエAが非常に注目されていた。しかし、彼が当時在籍して、フットボール人生の大半を過ごしたチームはプレミアリーグのアーセナル。ヨーロッパサッカーについてはオランダとバルセロナ、セリエAしかしらない俺にとっては、サッカーの母国イングランドの首都、ロンドンのチームアーセナル、という響きだけで、なんだかすばらしい想像をしていた。
当時のプレミアリーグといえばマンチェスターユナイテッドが栄華を極めていた時代で、それに対抗するアーセナルと言う立場だった。俺が今愛しているリバプールはかつての古豪復活を目指して、ウリエ体制の下、オーウェンを擁して頑張っていた頃。
プレミアリーグの情報が入ってくるに従い、実はアーセナルが段々嫌いになっていった俺。華麗なフットボールは見せてくれるが、なんだか嫌いだった。
しかし、ベルカンプに対する思いは相変わらずで、チームの負けは祈っても、ベルカンプのゴールはいつも期待していた。
そんな彼は、前述のアルゼンチン戦でのゴールや、プレミアリーグでの対ニューカッスル戦で見せたプレーなど、非常に多くの華麗な、そしてちゃんと結果として残るプレーを数多く見せてくれた。彼のプレーは、本当に美しかった。
フットボール好きの例に漏れず、美しいプレーは大好きだ。ただし、以前にも書いたようにジダンはあまり好きではなかった。ジダンが世界一美しいプレーをする、といわれていた時でさえ、俺は、「いや、ベルカンプのほうが美しいし、それをゴールにつなげることができる」と行ってまわっていた。それには理由があった。
ジダンが人間離れしすぎるほど、プレーが正確であることが、俺がジダンを好きになれない理由の1つだったか、ベルカンプに全くその逆だった。あんなに冷静な人間、ともすれば、こちらのほうが人間らしくない、とさえ感じるほどの通称「アイスマン」、なベルカンプが、飛行機に乗れない。そこが、また俺が彼を好きな理由の1つだった。
2002年W杯は日本で行われた。98年大会が終わって、俺は貯金を始めた。日本でオランダ代表を見るためだった。なんなら、韓国にまで行くつもりでいた。しかし、オランダは見事に予選落ち。しかもベルカンプは代表を引退していた。飛行機に乗れる、乗れないに関係なく、彼の代表でのプレーを見る機会を俺は失ってしまった。これは、俺の生涯でも悔やんでも悔やみきれないこと上位に位置するほどの出来事だった。
オランダという国は、俺のサッカー人生において、非常に重要な位置を占めている。オランダが初のタイトルをつかんだ88年EUROに始まり、その流れで好きになったACミラン。また、このサッカーの起源であるアヤックス、クライフを知り、彼が監督をしていたバルセロナを知る。これらのチームはいまでも俺が非常に好きなチーム。
今日行われたベルカンプの引退試合では、彼に由来する様々な人物が彼の最後の雄志を一目見ようとやってきていた。クライフ、ファンバステン。この系譜を次ぐベルカンプがとうとう引退。正直、彼の跡を継ぐといわれているファン・ペルシーはまだ彼には遠く及ばないと思う。もっと頑張って欲しい。
なんにせよ、ベルカンプの引退は非常に残念だ。しかし、これほど俺がサッカーにのめり込むことができたのは間違いなく彼のおかげだ。心の底からそう思う。
ありがとう、ベルカンプ。
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- 2006/07/24(月) 02:42:09|
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W杯決勝、ジダンに見たもの
俺はジダンのことを常日頃から嫌いだといってきた。
理由はあまりにもプレーが正確すぎるから。人間味にかけるところがいやだった。
そんなジダンが最後の最後に見せた人間の心、怒り。アホマテラッツィの挑発に乗って退場するなんてもったいなさすぎる。あんなヤツの挑発なんて何の価値も無いと思うけど、ジダンには許せなかったんだろう。
なんにせよ、これで彼のキャリアは終わり。最高の舞台で、中心選手としてチームを文字通り引っ張ってきて、ああいった幕引き。あと8分がプレーできなかったことはすごい悔しいだろうけど、紛れもなく今大会のフランスは彼のものだった。デシャン無き後をよく引っ張ったとは思う。
お疲れ様、ジズー。
- 2006/07/10(月) 05:51:11|
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